[沿革]産業用無人ヘリコプターによる請負散布の開始

昭和62年12月、ヤマハ発動機が農薬散布用のラジコンヘリの試作機(R-50)を発表し、世界初の産業用無人ヘリコプター(以下無人へリ)が産声を上げました。

無人へリは、オペレーターが地上の目線にて操作することから、低空且つ的確な散布が可能な為、当時最盛期であった有人ヘリによる航空防除の除外地や、農業者の高齢化による共同防除が困難になった地域等を対象に、環境に優しい防除方法として、大きな期待が寄せられました。

平成元年に、農水省より無人ヘリによる薬剤散布の暫定ルールが公布されたことを受けて、弊社は請負散布の体制づくりの準備に着手しました。

又、弊社の担当エリアである愛知県・三重県の経済連(現 あいち経済連様・全農三重県本部様)より資本参加を受け、業務提携を結びました。

当時の機体は、GPS等の制御装置も未装備で、操縦も非常に難度が高かった為、ラジコンヘリの上級者(ラジコンヘリ日本選手権出場メンバー)数名と契約し、県下各地にて、試験散布を行いました。

平成2年に、ご要望いただいた散布候補地域において防除計画を立て、契約オペレーターを中心に3班のグループを編成し、6月に水稲防除を開始しました。

この時の散布班が、全国初の無人へリ散布業者の草分けとなった訳でありますが、当時の機種R-50は98ccの2サイクルエンジンであり、夏季の猛暑の中、連続飛行を行うには出力不足であり、計画した散布面積を完遂するには困難を極めました。

防除期間は2ヶ月半に及び、作業環境は過酷を極めましたが、関係者のご協力のもと、水稲において483ha(三重県166ha/愛知県 317ha)の散布を実施することができ、その年の全国実績の約20%を占める実績となりました。

弊社は、この年の散布を振り返り、散布計画や確認作業などの事前準備が不足していたことを痛感した為、翌年より事前圃場確認や散布ルート作成などの準備作業を必須要件として徹底いたしました。

この時の経験によるノウハウは、現在の散布作業においても受け継がれ、日々の作業の中に生かされております。

今後も安全且つ円滑な散布品質を維持し、無人へリ防除がお客様から求められる農業として評価をいただける様努力して参ります。

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